峻烈なる道程弓田亨

弓田亨が語る「材料の輸入販売」

本来のおいしさは、素材の豊かな個性、味わいによって、
よりシンプルに作り上げるべきものではないか。
そう考えて以来、自らの足で良質の素材を探し求めてきました。



開店より数年、論理的にそして感覚的にフランスと日本の素材の違いは、ほぼ克服されました。初めてのフランスでの研修から実に15年ほどの時間が必要でした。私が自分の店で提示した味わいは、それまで日本には全く存在しなかった、完全に新しい領域の味わいでした。

開店間もない頃から、本当に多くの方々に「本当においしい感動的な味わいでした」という言葉を頂きました。

食べ物を作る者にとって、これ以上の喜び、そして励みになるものはありません。ようやく小さな自信が芽生え始めた頃でした。

しかし、次第に私はその「感動的」という言葉に割りきれないものを感じるようになりました。

生クリーム、バター、粉、その他多くの素材が味わいの点でも物性の点でも、フランスと日本では大きく異なり、その違いを克服するために、どうしても技術や考え方・工程はより複雑になっていきます。素材の表情を無視して自分のイメージを強制的にお菓子におしつけている自分が見えてきました。私のお菓子を食べて感じる「感動」とは、本来はお菓子には必要のない精神的な緊張ではないかと考えるようになってきました。

そして、私自身もそのような精神的な緊張の中で、お菓子を作ることに疲れてきたのです。本来のおいしさは、素材の豊かな個性、味わいによって、よりシンプルに作り上げるべきものではないかと考えるようになりました。

もちろん、その頃は、今ある輸入製菓材料は既にほとんど輸入されていました。しかしそれらは私がパリのミエ店で経験した味わいとは大きく異なるものばかりでした。そればかりか、品質は年々劣悪になっていきました。

私は材料問屋さんや輸入業者の方に、なんとか良質のものを届けてくださいと熱く語りかけてきましたが、それはまったく聞き入れられることはありませんでした。

秀逸な素材でもっと朗らかにお菓子を作りたいと言う気持ちは次第に高まり、抑えきれないものとなってきました。

私には輸入業務の経験など、少しもありません。大きな資金が必要ということも分かっています。経理の者も「うまくいくわけがありません。シェフ辞めてください」と泣いて私に訴えました。生来の鉄砲玉のような性格を、もう抑えることは出来ませんでした。そして鉄砲玉は飛び出してしまいました。

以後、フランス・スペインに度々足を運び、自分の足と口で、自分の感覚が納得する素材を探し続けてきました。

未知の土地を恐る恐る訪ね、多くの未知の物に出会い、驚き、打ちのめされ、度々の感動もありました。

筆舌に尽くしがたい困難がつい最近まで続きました。
でも普通では得ることのできない、様々の経験が人生の後半の自分を形作り、そして今のお菓子にも大きな力と空間を与えてくれたと思います。
私はずっと忘れません。

ペック社のチョコレートが届き、全く表情を変え、生まれ変わってしまったチョコレートの様々なお菓子、それは私にとって大きな感動でした。

神様の力添えなくしては、人間の力だけでは出来得ない、と思わせる、フランス・アルザスのルゴルさんのオ・ドゥ・ヴィ類、ブルゴーニュのジョアネさんのリキュール類でも、お菓子の表情は大きく、朗らかに生まれ変わったのです。
私は自分の人生の幸運を感じてしまいます。

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